学級経営の「躾」が意味するもの

スポンサードリンク

学級経営の「躾」が意味するもの

しつけについて面白い考察がありました。

 

岡本夏木先生という方がおられます。

 

専門は幼児教育だったと思うのですが、

 

心理学の先生でもあります。

 

 

岡本先生の本を読み心を動かされた一節がありますので紹介します。

 

 

五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸をはずしはじめる年齢にあたります。

 

それまでは親が外側から枠組みを与えて、

 

子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせていたのですが、

 

いよいよその枠をはずして、

 

子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に入っていきます。

 

 

 

しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、

 

子どもを本人の自律にゆだねることです。

 

しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。

 

外からの強調によって社会のきまりをあてがうことよりも、

 

むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。

 

しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。

 

 

 

 

このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、

 

読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。

 

ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそが

 

しつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。

 

それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、

 

そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、

 

しつけのねらいなのだと言っているのですから。

 

とまどいを与えるようで申しわけないのですが、

 

しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、

 

それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。

 

 

 

 

子育てにおいて、私たちはいつのまにか肝心なことを忘れがちです。

 

「しつけとは、

 

やがてそれがはずされるものであるという前提に立って行われるべきものだ」

 

ということもその一つかもしれません。

 

この前提に立ってしつけにあたっているかどうかが、

 

子どもにとって大切な自律と深く関わっているのだという指摘は、

 

とても的を射たものであると思います。

幼児期―子どもは世界をどうつかむか (岩波新書 新赤版 949)

 

 

 

う〜ん深いです。

 

「躾」という言葉はあまり学校では遣いませんよね。

 

引用文にもあるように

 

「厳しく育てる」

 

というようなニュアンスで受け取られがちですから。

 

でも、

 

岡本先生が考えるような「しつけ」は

 

小学校の学級経営でも同じじゃないかなと思います。

 

本では「5歳から7歳」の子ども達を対象に述べていますが、

 

家庭とは違ったコミュニティで一緒に生活するためには

 

岡本先生の言うような「しつけ」は必要だと思います。

 

 

 

これは学習指導にも言えるのかなとも思います。

 

単元の最初はしつけ糸で枠組みを作って上げることで

 

基礎基本を身につけさせて

 

基礎基本が身についたら

 

しつけ糸を外してあげる。

 

 

 

 

 

すんなり上手にいくとは思っていませんが、

 

そのような考え方は大切だと思います。

PR

関連ページ

2分の1成人式のねらいは?親の感動?
色々話題になった2分の1成人式について考えます。
子供用サプリの是非について
近年子供用サプリが多く発売されています。もちろんすべてが悪いわけではないでしょうが、サプリに対する親と学校側の認識がずれている場合には注意が必要です。

理想の将来をお子様に

よく読まれています!